「三沢光晴」の4文字をこんな形で書くとは…・
そのニュースを知ったのは、先週と変わらない週末の朝、何事も無い週末の朝、コンビニでペットボトルのお茶をレジに出した時。
新聞の見出しに大きな文字でそれは書いてありました。
最近はテレビ観戦もあまりしていません。
思い出したのは25年以上前の光景。
スポーツ刈りの色の白い肌のきれいな新弟子が入ってきました。
手足の長い神経質そうな若者でした。いかり肩で猫背で。
地方興行のリング下でのトレーニングでは、弾けない笑顔で先輩達とバーベルをあげていた姿が印象に残ります。
その身のこなしはスムーズで破綻が無く、器械体操を経験しレスリングで鳴らしたキャリアは本人の資質にあった理想的なものであった気がしました。
運動神経に恵まれた先輩越中詩郎が霞むくらい。
でも、足首が開く癖は格好悪いので直らないかなぁ…と。
その頃は、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディなどスーパーヘビー級がやっぱり主流で、その若者と将来の「トップレスラー」という地位は全く結びつく物ではありませんでした。
遠慮がちなファイトで若手選手のトーナメント「ルー・テーズ杯」で準優勝。御大テーズと同じフレームに収まった三沢青年にこっちがくすぐったかったです。
メキシコ遠征、田園コロシアムでタイガーマスクとして再出発。不器用なキックでも生真面目に出していましたが、キックに関しては本当に不細工でしたねぇ。ラ・フィエラという軽量級の名選手を相手に試合を組み立てました。先代タイガーの威光を意識せざるを得ない中で、両選手とも素晴らしい活躍だったと思います。田園コロシアムの階段席でそんなことを思いました。
タイガーのマスクを自ら脱ぎ捨て、ジャンボ鶴田と対峙したときには「ドン・キホーテ」を見る思いでした。
日本武道館の大会で返し技ながらもジャンボにフォール勝ち。その日はどうやって九段下から家まで帰ったも覚えていません。
きりが無いので…。
最近は足が細くなって、おなかも少しポッチャリ、うるさいほどの密度の頭髪もすっかり薄くなってきてました。
25年以上を思い出してみて、やっぱり最高に好きなレスラーじゃなかったです。でも、古いレスラーが持っていたプライドを持っていた選手だったと思うし、新しい地平を作ったのは間違いはありません。
プロレスラーとは。
プロレスとは。
これの評価は全面的に見る方の判断にまかされています。あたりまえだけど、プロレス側からは何も求めません。お客さんになってねってだけ。
プロレスリング・ノアを立ち上げて社長になり、コマーシャルで笑顔をふりまくようになっても、やっぱり弾けきらない三沢青年の表情はそのまま。
師匠のジャイアント馬場と同じく、自分の野心だけで動いたことは一度も無かったんじゃないかなと。
三沢が試合中に死んだ、という字ヅラは見ました、それは理解しました。
実感は全くわきません。
試合以外の自己主張、ギミックとは無縁のレスラー。
長々と書きましたが、まとめも何もありません。
プラム選手、福田選手、三沢光晴。プロレスラーがプロレスで死ぬなんてコトはもう本当に勘弁してください。
一旦終わり。
まだ涙も何も出ません。
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